コラム

Column

たまのうたかたの想い

たまのうたかたは、日ヶ久保香が代表を務めるセラピールームと演技教室です。

一見、遠いように思われるこの2つの仕事を同時に行っているのはなぜなのか、お話したいと思います。

目次

たまのうたかた=珠の泡沫 その由来

たまのうたかたは、私が作った造語です。

珠(たま)は宝石、美しく立派なもの
泡沫(うたかた)は水面に浮かぶ泡

うたかたの様に儚く消えてしまう
目に見えない言葉や感情

だからこそ

たまのように大事な宝物として
扱って欲しい


そんな想いで、活動をしています。

最初は日記でした。

たまのうたかたという言葉は造語。
はじまりはアメーバブログでした。

気まぐれに思ったことを書きたいなとはじめたので、
「書き留めないと忘れてしまいそうな些細なことでも、気が向いたらたまーに書きますよ。」

そんな意味で付けたタイトルですが、語呂と音の響きが気に入り
セラピストとしての活動をしようと思った時に、そのまま名前を使いました。

私にとっては長年の相棒のようなものです(笑)

アメブロの方は、もうしばらく書き込みはしていませんが、いままでの記録があるので残しています。
自由きままに書いていたので、私がどんな人間なのか知るためにはいいかも知れません。
今の方が少しは成長しているといいのですが、基本変わらないと自分でも思ってます…(・∀・)

2011年から始めたので、10年遡れます…(笑)

俳優から「教えの仕事」をするようになって

2014年、某芸能学校の生徒さんと共演する機会があり、一緒に稽古をする中で演技指導をするようになりました。
そして2015年からその学校法人内の高等学園で演技の授業を担当することに。

その当時、本格的に演劇の世界に入ってから既に10年以上が経っていましたが、それまで自分が演技を教えることになるなんて考えたこともありませんでした。

なぜなら教えるのが嫌いだったからです!(笑)

なんで教えることが嫌いだったかというと、答えは簡単。
「どうして苦労して手に入れた自分の知識や技術、言葉に表しにくい感覚を分け与えなくちゃいけないの!?」
そんな気持ちだったからです。

でもこのタイミングで〃先生をやりませんか?〃というお話がきたのも、自分にとって何か意味のあることなのかな?と考え、ちょっと頭を切り替えてみようと思いました。
誰にでも巡ってくるわけではないこの機会です。
せっかく私が教えるなら、こう言ってもらえるようにがんばろうと思いました。

「さすが、ひがくぼ先生が教えた子はいいね!」

そのために、いままで自分が獲得してきたものを全て与えるつもりでやろう!と決めました。

そして準備を始めるとあることに気が付きました。
「あれ?感覚的に理解してることを生徒に伝えるにはどうしたらいいの?」

当たり前ですが、大勢いる生徒は私自身ではありません。
ひとりずつ別の人格と個性を持った人間です。
以心伝心というわけには、もちろんいかない(・∀・)

そこで、自分の頭の中と身体の記憶を体系化することにしました。
自分の感覚を言語化して、みんなに伝えられるようにしようとしたわけです。

私は演劇=生きること、人生と思って生きているので、この作業は自分自身の棚卸しになり
とてもよい時間になりました。

いままで感覚でやってきたことを言語化することで改めて客観的に意識することができ、とてもよい学び直しの時間になりました。
しかも、それを生徒たちに教えることにより、自分の方法が間違っていなかったという検証も同時にでき、
相手によって方法を調整するということも試せる、素晴らしいフィールドワークの時間になりました。

教えてる立場の人間が、その場を「フィールドワーク」と称するだなんて不謹慎だと感じる方もいるかもしれません。
でも、恐らく私が教えた生徒たちもその保護者の方たちも許してくれるでしょう。

最初の授業の時に私が必ず伝えていたことがあります。
「演劇は一生修行。私もたまたま先生という立場にいるけど、修行中で、みんなより少し先輩っていうくらい。
早く生まれた分、みんなより知ってることは多いから、それは全部、必要なだけ伝えるけど、考える力は同じだけある。
私は、早くみんなと一緒に仲間として作品を創ることがしたいし、演劇で一緒に遊びたい」

こんなことを話していたので、きっと、演劇探求の旅を一緒に楽しんでいたことを理解してくれるでしょう。

演技講師として、ぶつかった壁

演技の講師として授業を受け持った私は、もちろん「演技力を向上させる」目的で内容を準備していきました。

ですが、すぐに壁にぶつかりました。

どんな壁かというと、「演技力を向上させる」よりも「先にやるべきことがある」と強く感じたのです。

それは最低限のコミュニケーションを取れる状態にすること。

私が出会った生徒たちはとても元気でパワフル、そして素直でした。
でも、これまでの経験による「寂しさ」や「理解のされなさ」が原因で、
人を信じられず、相手を試すような面があったり、わざと困らせて自分に目を向けようとするようなことが見られました。

それから何年か経ち、たくさんの生徒と出会いましたが、私がたまたま最初に出会った生徒たちの傾向は特別なパターンではなく、ある意味、世の中の縮図と言えるだろうと思っています。

彼らはみんな、自分たちなりの方法でコミュニケーションを取っていました。
例えば「同じ空間に2人の人がいて、もし何もしていなくても、そこにはコミュニケーションが生まれている」と私は考えます。
でも真っ直ぐにコミュニケーションを取ることに対して、とても臆病でした。

演技以前にコミュニケーションといいましたが、実際には演技とコミュニケーションは密接な繋がりがあるし、コミュニケーションそのものと言っても過言ではありません。

「演技を教えて欲しい」「演技がうまくなりたい」と考える人の多くは、
手っ取り早く「うまく」なるために技術の部分を知りたがります。
それは、聞こえやすい滑舌や発声の方法だったり、台詞の抑揚だったり、見せ方や立ち位置に関する感覚だったり…

しかしながら、その技術を使いこなすためも〃コミュニケーション能力〃は必須なのです。

コミュニケーションという言葉はいまや日常に溢れています。
みなさんも、コミュニケーションと聞いて頭に浮かぶことがあるのではないでしょうか。

演劇の場合にはより濃密なコミュニケーションが必要とされます。
役柄や関係性・シチュエーションによって、表現として希薄なコミュニケーションを選ぶことはありますが、いつでもコミュニケーションの濃度をグラデーションのように選択できる状態を身に付けていなければならないのです。

演技力の前に人間力、演技力のその先にも人間力

人間力。

これも近年よく耳にするようになりました。

内閣府が2003年に「人間力戦略研究会報告書」として発表した中で定義した人間力とは
「社会を構成し運営するとともに、自立した一人の人間として力強く生きていくための総合的な力」
とされています。

もう少しわかりやすい言葉に言い換えると、こんなことではないでしょうか。

・人を思いやることができ、誰かと共に協力することを厭わない
・他者に依存することなく、自分の考えを信じ行動できる強さ(自己肯定感)を持っている
・状況に応じて、謙虚さとリーダシップを使い分ける広い視野がある

これを実現するためには、心の豊かさ(精神的に満たされていること)が必要です。

私は「自分以外の誰かを演じていたとしても、演じる役者の本質や人間性が現れるのもの」だと思っています。
それは、その人そのもの(演じていない状態)と対面しているよりも、ありありと感じることすらあると思っています。

それはどうしてかと考えてみた私の答えは、こうです。

自分以外の誰かを演じる時に色々な知識を得たり、想像したり、たくさん頭を使って、自分以外の誰かを演じられるだけの情報を獲得するための準備をします。
その時に、必ず自分の身体と思考を通して、モノを見たり、考えたりします。
自分以外の誰かになるための一番身近な比較対象は自分ですし、どうしたって自分自身とは切っても切れない関係なのではないかと考えます。
(表現として役になりきることや自分以外の誰かや何かを演じ分けることができないという意味ではありません。)

豊かな表現をするためには、自分自身が豊かである必要がある…

表現者として人前に立つためには、人間力の高さは必要不可欠だと考えます。
そして、その人間力を支えるのは様々な人や物、場所とのコミュニケーションから得る経験だと考えます。

表現を妨げるもの

豊かな表現をするためには、人間力の高さ、コミュニケーション力が必要だというお話をしました。

また、濃厚なコミュニケーションが取れないことの原因として、孤独感や、疎外感を感じた経験から人を信じられないという気持ちを持っているとお伝えしました。

人を信じられないと、自分の殻に閉じこもります。
他人は鏡というように、心のうちを見せない相手には自然と距離を置くことになります。
お互いが様子を見合って、関係を深めていくことができず、留まってしまいます。

人は他者がいることで、自分自身を認識します。
関係性が深められないと、他者から認められるという経験も乏しくなるため、自分に自信を持つことも難しくなります。

授業を通して、人との関係性を築いていったり、信じられる人がいるということを感じてもらったりする中で、コミュニケーション力が上がり、それと比例して演技も面白味や深みが出て、変わっていく生徒たちの様子をたくさん目の当たりにしました。

しかし、ひとりひとりと向き合う中で、どうしても「不自由な自分」から抜け出せない子がいることにも気付きました。

俳優は、虚構の世界(現実ではない舞台の上)で、“本音”(本当の感情)を語れなければなりません。
でも現実の世界で無理をして自分自身の感情に蓋をしている状態では、演技に演技を重ねる(嘘に嘘の上塗りをする)ことになり、演技ができないのです。

自分の感情に蓋をする原因も人それぞれですが、こんなことがありました。
・過去にいじめられた経験がある
・親子関係がうまくいっていない(ネグレクト)
・HSC(Highly Sensitive Child)

こういった原因で心に傷を持った場合、他の成功体験で傷が癒えることもありますが、根本的な解決にならないことも多くありました。

自分の子どもの頃、そして経験を振り返る

ここで私の子どもの頃のこと、いまの自分と繋がるこれまでの経験をピックアップしてお話します。

小さな頃の私は、大人しい子でした。
言いたいこともあまり言えず頭の中で色々な言葉がぐるぐるしているタイプでした。

一番最初の記憶は多分4歳くらいです。
自宅前の路地が他の道路とぶつかる小さな交差点でひとり立ち尽くし、夕暮時、遠くの線路を走る電車の音を聞いているというものです。

なんでそんなところに一人で立っていたのか、本当に一人だったのかもわかりませんが、
なぜかすごく寂しいような切ないような、大人になった今だと「孤独」と称するような感情で胸がいっぱいでした。

物心ついた頃、私の母は数年に一度くらいの割合で長期で家を留守にしていました。
病気の療養のための入院だったのですが、その頃、何の病気なのかは知りませんでした。

小学5年生の時のある休日。
母が緊急入院することになりました。
緊急入院するだけの事件が我が家で起きたわけですが、目の前の状況を信じられない気持ちでした。
母がいままで入退院を繰り返していた理由となる病気は統合失調症でした。

病気は本人の心にもないような言葉を言わせることがあります。
頭では理解していても、母から投げつけられた言葉でたくさん傷ついてきたことは確かです。

ちょうど同じ頃、私はが小学校の演劇倶楽部に所属していました。
大人しかった私は、小学校4年生の頃は勇気が出ず、1年越しで入部をしたのです。
その時はただ演劇に夢中でしたが、振り返ると自分にとって子どもの頃の演劇はセラピーの効果もあったと思います。

中学生の頃、友達に言われて今でも心に残っている言葉があります。
「香は自分のこと何も話してくれないから…」
友達は、私が自分のことを話してくれないと感じ、少なからず傷ついているようでした。
私はその友達を大好きで、なんでも話しているつもりでした。
なので、この言葉で私も少し傷つきました。

でも、友達が言ってることは間違っていなかったんだと思います。
私が話していた全ては「話せること全部」であって、話せないことは話してなかったからです。
いまでこそ、世間的に心の病についての理解も深まっているし、調べれば知識を得ることもできます。
でも昔は、いまよりももっと〃精神病〃についての理解はなかったし、ナイーブな問題で、ともすれば差別の対象にもなっていたと思います。
私は無意識に母の話題は避け、ひとつ隠し事があると言えないことは数珠繋ぎで増えていきます。

もちろん母に関する悩み事は友達に相談できません。
すると、悲しみやモヤモヤという感情は、身体の中に溜まっていきました。

演劇という虚構の世界では、ドラマティックなことがたくさん起こります。
穏やかな日常の中では感じられないような感情と出会うこともあります。

私の中に溜まっている母に対する感情のエネルギーは、自分以外の役を演じ、感情を表現することで昇華されていったんだと思います。

それから、演劇に夢中で過ごした日々があり、10代の後半には「自分らしさ」を手に入れたと思えるような瞬間もありました。

「無償の愛」というものが存在するのであれば、それを無意識に享受するのは子ども時代に親からのものであってほしいと願っています。
子どもが日常の中で「愛を感じるなぁ」と実感するタイミングというのはないかも知れませんが(笑)
愛に包まれていることで自己愛が育まれ、自己承認が自然とできて、他人にも思いやりを持つ余裕のある人間となるのだと思います。

私の母に、愛がなかったとは思いませんが、私が「無償の愛」を感じられたのは、大人になってから出会った恋人によるものでした。彼といるととても自由でした。
彼は恋人であり、父のようでも母のようでもあり、親友であり、先輩でもあり、双子の兄妹のようでした。
しかし、世界が色鮮やかに感じられた日々も突然終わりがやってきました。
2006年6月29日が彼の命日です。

俳優で演出家であった彼・松本きょうじの最後の演出作品となったのは、私と共同でプロデュースした公演になりました。
シーラ・ディレーニー作『蜜の味』は映画化もされている作品ですが、主人公の少女ジョーと母親の歪んだ関係だったり、母親との口論の中である種の攻撃のように知らされる会ったことのない父親の説明に<白痴>という表現がされていたり、私としては、「自分が演じなくて誰がやるんだ」くらいに意気込んだ作品でした。

ラストシーン、恋人だと思っていた黒人の水平はもう自分の元に帰ることがないと理解し、妊娠している事実を受け入れ、ゲイの友人と強く生きていこうと覚悟を決めたジョーのところに、恋人と別れて行くところのなくなった母親が突然帰ってきます。ジョーの見ていない隙にゲイの友人を傷つけ、追い払ってしまう母親。しかし、ジョーのおなかの子が混血だということを知り、母親はまた家を出て、ジョーはひとりぼっちになってしまうのです。
最後の台詞は「私、どうしたらいいの…」でした。
このラストシーンについて、演出からは微笑みながらというディレクションがついたのですが、
私はどうしても納得がいかず、写真のように号泣するラストシーンにしてほしいと話し合いました。
最終的に彼は「これは香自身の物語だから」と私の案を採用してくれました。

彼が亡くなったという知らせを受け取った時の私は、このラストシーンと同じような絶望を感じていました。

自分の片割れを失ったように感じ、自分を否定されたように感じ、とにかく苦しくて、会いたいのに会えないことが信じられず、この世には自分たったひとりであると感じ、しばらく動けなかった私ですが、彼がそれを望んでいないことは明白でした。

私を外に連れ出したのは、やはり演劇でした。
出演する舞台が決まっていたので稽古に行く。そして演じる。

母の悩みを抱えていた時には、芝居で感情を表現することで癒された私でしたが、
この時はそれが通用しませんでした。
外に出るのもやっとの精神状態。でも演じることを辞めたくなくて無理をしていました。
自分自身の本心から目を背けて、感情に蓋をして、自分に嘘をついていました。

私が後に教えるようになった生徒たちに対して感じたメンタルケアの必要性は、自分自身の経験からも言えることなのでした。
当時の私は、もちろんセラピストの資格もありませんし、カウンセラーでもありませんでした。
心療内科にも行ってみましたが先生と合わず、簡単な問診で処方された薬には抵抗感しかなく、飲まずに捨てました。

どうやって立ち直ったかというと、自分の辛さと向き合うことしかありませんでした。
俳優は感情を扱う職業です。
その時の私は今よりもずっと未熟でしたが、私の周りにはたくさんの先輩がいました。
私が無理をしていることなんて、お見通しなのです。

少しずつ、自分の感情と向き合うことで、気持ちも落ち着き、嘘に嘘を重ねるよな演技はしなくて済むようになりました。

メンタルケアの必要性

幼少期から今にいたるまで、演劇は私にとって無くてはならないものです。

若い頃には、演劇をセラピーのように使ってると感じる人と出会えば抵抗がありました。
観劇料をもらって、作品を観に来ているお客さんに失礼だと感じていたからです。
自分自身にとって、演劇がそのように作用しているということに気付いたのもここ数年です。

プロの俳優として舞台に立つ人と趣味として演劇を楽しむ人の目的は違いますが、
それでも、演劇は自分と出会い直し、他者と出会える場であり、
自分と向き合わざるを得ないことに違いありません。

心理療法として、昔からサイコドラマという手法が取り入れられていることからも
確かなことでしょう。

でも、セラピーを目的とするならば、演劇というツールは時間が掛かります。
また逆に、豊かな表現をすることを目的とするならば、まず、メンタルを整える必要があります。

そこで、私はメンタルケアの手法を学ぼうと決めたのです。

おかしなもので、自分自身は辛い思いを時間を掛けて落ち着けていきましたが、
生徒たちのことを考えると、早く楽にしてあげたい、という気持ちが強くありました。

自分と同じよう辛い思いをしているなら、早く解放されるのが一番だと思いました。

そしていま…

いままで自分が経験したことを生かして、誰かの役に立てたらいいなという気持ちで活動をしています。

自分ができることと

自分が経験したから知っていること

演劇も、セラピーも
自分が表に立つことも、裏に回ることも
すべて私にとっては地続きです。

全部「生きやすさに繋がることだな」と俯瞰して見たいま、深く納得しています。

これからも、自分も楽しく、私の周りにいる人たちも笑顔でいてほしい
笑顔になりたいと思っている人が私のところに来た時に、真摯に向き合うため
日々の学びも忘れずに過ごしていきたいです。

2022.2.25 日ヶ久保 香

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